追手門学院高校・表現コミュニケーションコース活動ブログ

大阪府茨木市にある追手門学院高校・表現コミュニケーションコースの活動ブログです。普通課のカリキュラムに週8時間、演劇とダンスの表現教育を行っています。日々の活動の様子をお伝えします!

ヒョーコミプレゼンツ!#5 卒業生インタビュー【秋元隆秀】


 

 

ヒョーコミプレゼンツ!第5回!!

インタビュアーは、表コミを「はじまり」から知る表現科教員の福岡が務めます★

 

中学校の文化祭で「表現」に目覚めて、大学でも舞台芸術を学んでいるあっきー。表現することは「反発する手段」だと語ります。そんな考えに至った表コミとの出会いについて聞きました!

 

―現在の所属を教えてください。

近畿大学文芸学科芸術学部舞台芸術専攻に所属しています。2回生です。

 

―どんなことを今は学んでるの?

そうですね。今は演劇とダンスの実習と共通科目の選択で、まぁ自由に選べるんですけど僕は実習授業を多めに取っていて、演劇の、とか、ダンスの、基本的な世界観とか歴史とかを知識として学ぶ時間もあるし、実技で、教授たちは現役でやっているアーティストの方なので、その中での実習の経験をしたり、あとは他学年の実習公演とかがある時は、手伝いに行って、学校全体で演劇を立ち上げる作業を学びながら、座学的な面でも知識を吸収して、ていう感じですかね。

 

―理論と実践の両方を学べてるんやね。楽しい?

まあまあまあ(笑)高校で前衛的な演劇ばっかに触れてきたので、なんかこう大学での演劇の色は僕がしたいことではないけど、でもまあこれもそれが生まれる過程にあったものでもあるし、全く別物にしてはいけないなと思って頑張って学ぼうとしてるんですけど。まあ実習ってなると、そうですね、なんかこう表現する動機というか、すごいなんか、経験経験みたいな感じでやってしまうのはすごいダメだなと思ってて。

 

―あ、自分の?

そうです。もっとこう、うーん・・・高校の時にやってたことって丁寧に自分とのすり合わせをして、作品にしていったので気持ちが乗ったんですけど、大学はやっぱりシステム的にも本当に好きなこととか自分に寄り添ってるものじゃないと乗り切れない部分があって、俯瞰してやりすぎちゃってるのがダメだなぁと。

 

―高校の時は等身大の自分から生まれるものが多かったしね。

そうなんです。だからだったら、戯曲書いたりとか、地域のこと考える授業とか3回4回くらい取れるんですけど、そっちの方面に行った方が良いかなと思ってます。実習とかは外部でやったほうが良いかなと思ってます。

 

―そうか。じゃあ学校じゃない場所でいろんな活動をしているの?

そうですね。1回生の時は表コミの先生方がいろいろ紹介してくれて、僕一回生の時へたりこんでたんですけど、バイトと学校生活送るのに精いっぱいなっちゃって、一回こう、演劇がっつりやろうっていう気概を持てなくて普通の大学生として過ごしてたんですけど、卒業したのに先生たちが色々連れ出してくれて。外部の活動は高校でやったことが明確に見える部分もあったり新しい面白さに気付けたり発見がたくさんあって演劇というか、表現することへのモチベーションがまた出てきましたね。

 

―表現に対するモチベーションも自分の状態によって変化するよね。でも、中学生の頃から、ずっと表現することを続けてると思うんだけど、あっきーにとって表現ってどういう存在なの?

そうですね。自己肯定じゃないですけど・・・。反発の手段なんですよね。だから、大学中すごいしんどかったのは、今まで中学も勉強ができなさ過ぎて、その生き残る手段として何があるだろうってとこから始まって、それで演劇やって。高校は反発なのかな、どうなんだろう、高校時代は楽しかったですけど、分からないがすごい多くて、1年生の自画像も本当分からなさすぎるがゆえに分かってやろうというか、考えてました。やっぱ、高校時代にあった反発みたいなものは、地元の友達とか今までいた中学とかのコミュニティから離れるじゃないですか。その時も俺だけ何やってるか分かってもらえなかったですし・・・っていうのもあって。そうですね、世間に居場所があるだけじゃなくてその居場所も認められたいみたいな欲が大きくて、だからこそ演劇やダンスやろう、それじゃあ場所づくりのために僕は表現やってるのかなと。

 

―場所づくりというのは自分の居場所?

んー・・・。そうですね。でも一人だけだったら自分の居場所だなと思えてないんで、表現することがいろんな人がバックにいて成り立っているんだなっていう意識があったからこそ、良い場所だなって。中学、高校、大学と上がってくに連れてバックにいる人はどんどん明確になって。だからこそ頑張りたいなっていう気持ちが強い。

 

―根本にあっきー個人として、表現するってことは、自分を認めることや、自分の存在を受け入れてもらえること?

そうですね。

 

―それが大学一年生の時は何となく色々やったけど、そこまでの充足感は味わえなかったってこと?

そうですね。なんか対等になれなかったからかな?と思います。自分が負けてたかも・・・。

 

―自分の表現としてそこに乗せきれなかったってこと?

やらされてるだけではやってる意味が分からないから・・・。指示された動きを動いてるだけなんで。自分なりにプランがあってそれを提示しても、それが自分だけで留まってないかなっていう不安もあったし、んー・・・。ちょっとちょっかいだすだけじゃだめだなって。ちゃんと同じ作品作るものとして同じ立場やってかないと・・・。話合いとか協働作業とか、みんなで繋がって一つのものを作る濃さが、表現をしている感覚になるのかなと思いました。自分止まりじゃなくて、他者とつながってる時間が出来れば濃いほど僕は満足ですね。

 

―それがあっきーが理想とする表現というか、クリエーション?

んー・・・。だし、そういう環境で生きていたい。

 

 

―高校3年間はどんな時間でした?

三年間は本当に、愛情というか一人一人に注ぎ込む時間がすごくて、それがあるかないかで考える考えないかがすごい変わってくるなって。

 

―その愛情を注ぐっていうっていうのの主語は?あっきーが?

いや、先生とか環境とか。一年生の時はやっぱりみんな疑問から入るけど、自画像終わってからすごい信じていいぞってみんな思った。そこでみんな絶対的な自分にとっての収穫みたいなものがあったからこそ、2、3年になって先輩の意識も芽生えるし、この環境でできることを精いっぱいやってやるぞの気持ちでやってた。高校の2,3年生に関しては反発ではないな。この二年間は、信頼できる場所でただただ自分の表現を追求する時間だったすね。

 

―なんで信頼できる場所になったの?

授業を通して物理的にみるじゃないですか、身体を。みんなで身体支え合ったり、委ね合うとか共有しあうとか、柔軟で敏感な、まあ個人の身体にもなるんですけど、それをずっと同じメンバーでやってるからこそ、共同体として柔軟になって。そこからくる生徒間での信頼。んー・・・そこからくる先生すげえなっていう(笑)

 

―そこからくる先生(笑)

そこからくるでもないな(笑)いやー、一年生の時は何となく凄い人だなと思っていて、言うこと聞けちゃう人も多分いて、俺とか男子組は疑問を持ちながらもやってた奴らだし、「何良い子ぶって従っちゃってんの」って女子に対して思ってたし。でも、実感としては凄いなっていうのは徐々にあって。

 

―だから言ってたことが実感出来るってことだよね。

そうですね。本当に言っていることが分かるようになる。これほど説得力のある言葉はないなっていう。だからこそ信頼したし、2,3年生でより高度で難解な作業するけど、それに対しても委ねられる。更衣室の中で、信頼してるからこそのちゃんとした議論を生徒と出来たのがでかくて。しんせいとかは本当にあいつは疑問を無くさないように言ってて、そのマインド大事だな。偏見からくる疑いの目ではなくて、信頼してるからこそ分からないことに対して、ん?って思えるか。それをすごい話し合ってたんで、授業終わり(笑)嫌いな時間だけども、「どういうことなの?」「分かんねえな」とか言って(笑)

 

―言ってたの?へ~~~~それも嬉しい(笑)

言ってた。あの時間(笑)楽しかった。

 

―でもさ、私たちが言ってることって結局正解がないじゃん。言ってることは多分意図はあるけど、え?って思って考えるってことに価値があるからそうなっていたなら、狙い通りだなって。すごいね。

すごいそうでしたね。

 

-じゃあさ、表コミの先生ってどういう風に見えてたとか、他の先生との比べるのはよくないけど、なんか違いってあった?

すごいリスペクトを持ってる中でのフランクな関係が異質な感じというか。やっぱ他の先生とリスペクトの度合いが違うかなって感じはするかな。なんか凄すぎて分からない、なんか他の先生が言ってることが分からないことはそんなにないんですよ。授業で言ってることは分かるし。でも表コミの先生が言ってることは分からないことが多い。でもなんか分からないのに、離れきれないというか(笑)仲もイエーイって感じはあるけど、常にそういう感じでもないし(笑)。なんていうんだろう難しい(笑)分かんなすぎるのを僕たちは分かった振りしてるっていうのは、洗脳じゃないですか。そこは適度に突き放してくれるというか、僕らは洗脳されないように自分の考え持ち続けようと思えたし、多分それは距離間をすごい考えてくれたからだと思うし、そこの差かな・・・、うん。距離置きながら分からないことを分かろうとする関係はここにしかないものだと思う。

 

―例えば何が分からなかったの?

声飛ばすとかも、「何が?一緒じゃん」みたいな。身体がこうすればこうなるって、本当かよって思ってた。後は、同期とかも本当にできるの?って思ってたんすけど、俺らが想像してた同期、例えばアニメみたいなこういう(ロボットの動き)じゃなくて、もうちょっと現実味を帯びていて、でもそれがすごい分かる。だからそれを最初に伝えるにはその表現しかないなって後から分かって。本当に身体の可能性がすごいなって言うのを、分からないけど分からないなりにやってみて、更衣室で考えて、また授業でやってみてみたいな。やってみると、明らかにやり始めは違う身体になっていて。最初に想像していた超人的なことではなく、こんだけ自分変わったんだみたいな、そこの成長率みたいなのは凄い見えたっすね。だからその分からないことやってみて、毎回自分でフィードバックして・・・。先生に言われた正解にたどり着くんじゃなくて、先生が言ったことをきっかけに動いいた自分の成長率が分かっていったから、洗脳じゃなくて距離をとった関係性があった。

 

―じゃあ最後に、表コミを色で例えると何色だと思いますか?

表コミ色か・・・。真っ先に浮かんでくるのは黄色ですね。

 

―なんで?

三年間の思い出としてはやっぱり黄色かな。自分を出せる、それを見せ合って、笑顔になって。キラキラするというか明るくするというか、ただ楽しいってだけじゃ無理でそうあるためにものすごく考えぬかなきゃいけない。自分見つめて他者考えて、黄色って僕の中でめちゃめちゃ明るいイメージがあるからこそ、それを生み出すためにした作業みたいなのが見えるかなっていう。

 

 

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【最後に一言】

表コミでの日々は自分の中にたくさんの熱量を生み出してくれました。自分の事、そして周りのことに本気になった3年間の経験は自分にとってかけがえのないものです。この日々の熱量を忘れないように、そして思い出して、自分を奮い立たせながら頑張っていきます。